法事はいらない・やめたいの考えは変?必要・不要それぞれの理由は?

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法事って必要?いらない?
この話題が最近友人との会話に上がります。

結婚生活も長くなり、親を見送る友人も出てきました。
自分達が法事などを手がけることが増えてきたからこその話題。

自分の親のことはさておき、法事がいらないと感じる理由。
それはお義理な法事があまりにも多いから。

身近な方の法事ならともかく縁の遠い方や、お世話になってなかった方の法事は「めんどくさい」と感じるのも無理はありません。

中には自分の親でも法事はやりたくないし、やめたいという友人も。
考え方は人それぞれ。
これはその人の考え方の分、答えがあるものかもしれません。

いらない、やめたいと思う人の意見。
あった方がいいという意見。
両方を深掘りしていきたいと思います。

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目次

法事はいらない・やめたい・不要?

法事はいらない・やめたい・不要という人の理由

  • 親戚付きあいがめんどくさい。
  • 顔も知らない人のお義理のような法事は無意味。
  • 死んだ人にお金をかけず、残された人のために使うべき。
  • 「死=無」なので法事をしても故人にはわからない。
  • 遠方だとお金がかかるし集まるのが大変。
  • しょせん見栄の張り合い。

法事はいらない、やりたくない、やめたい…。
そう思っている人の理由はこんなところでしょうか。

会ったことのない親戚の法事に行く必要ある?

私の義父母は兄弟姉妹がとても多い。
主人すら会ったことのない親戚の法事に、夫婦で出席したこともあります。
私出る必要ある?と首を傾げたくなることもしばしば。

核家族、共働き世代も増えて親戚付きあいが薄くなってきた現代。
冠婚葬祭もコンパクトが主流になってきました。

昔の当たり前が通用しない世の中に

昔と今では時代がまったく違います。
昔からの決まりだからと通用しない世の中になりました。

「だったらお義理の法事なんてやめたい…。」
そう考える人が出てきて当然。

法事は江戸時代から始まった

そもそも法事は江戸時代のお寺と檀家の力関係から始まったもの。
檀家にならないと、引っ越しすらできないくらい庶民は身元を管理されていました。

法要をしないと極楽浄土へ行けない、成仏できないと強要。
それが慣習となり今につながっているんです。
死が身近だからこそ仏事に熱心だったんでしょうね。

今は人生100年時代

しかし今は人生100年時代となりました。
医療の進歩、情報もあふれる現代。

自分の死後をどうしたいか決めておく人も増えました。
密葬、家族葬、永代供養…。
法事もさらに簡素化されていくかもしれませんね。

それでも法事は必要な理由

  • 親を見送るのは子の務め。
  • 周りに非常識と思われるから。
  • 家族、親戚の気持ちの整理のために法事はある。
  • 信仰している人の心を踏みにじってはいけない。
  • 自分達亡き後、子どもに血のつながりを残すことも大事
  • 身内(親戚)の付き合いは絶つべきではない。

私のダンナは長男です。
しかも数多いいとこの中でも1番年上。
嫁ぎ先自体も、代々続く家系なので特に仏事は本当に多い。

身内が亡くなってお骨をお墓に納めるのを見ることも。
そのたび、骨壺の多さに改めて先祖の存在を実感します。

先祖の墓守り、葬儀、法事など近い身内のものは義父すべて取り仕切っています。
いずれは私たち夫婦が行なうのは周知の事実。

先のことを考えると正直めんどくさい。
私はそう思っていました。
こういう家だとわかって嫁いできたのだからもう義務だとも…。

しかし、かなりの法事を経験してみてわかったこともあります。
法事に出席するとお坊さんの説法をいただくことが多い

法人は残された者のためにある

私は法事は故人の供養のためだと思っていました。
そうではなくて、残された者のためだと知りました。

法事は、親戚となった私たちが仏事を通して親交を深める機会

供養と故人を偲ぶことはもちろんです。
さらには縁あって親戚となった私たちが、仏事を通して親交を深めるいい機会だと。
その機会を作ってくれたのは故人だということ。

宗教的なことを知ると、法事への思いが少し変わりました。
でもやっぱり親戚の多さにはげんなりしますけどね。

一回忌、三回忌ぐらいはまだわかる。
でもさすがに三十三回忌はいらんだろう…。
と、言うのが今の正直な気持ちではありますが。

法事はいらない、必要、それぞれの考えが答え

法事をいらないと思う人、必要と思う人。
意見はそれぞれ。

どちらの意見もよくわかります。
結局はそれぞれの考え方が答えになるのではないでしょうか。

私の父母は必要ないという考えです。
「死んだ人間のためにお金を使う必要はない。
生きている人が幸せになるべき。
たまに思い出してくれればいい。」
父が生前よく言っていた言葉です。

実際、遺言状として残すほどの強い思いでした。
生きている間にお墓を作り、今はそこに眠っています。
たまにお墓詣りはしますが、遺言通り法事はしていません。

なので、法事はいらない、やらないという考えもあっていいと思います。
ただ、親戚や周りになんと言われても通し続けられる強い意志が必要ですが…。

周りと合わせることを良しとする日本人気質。
それを突っぱねられず、仕方なく長いものに巻かれている人も多いはず。

私もお義理100%の法事ならいらないと思います。
正直めんどくさいとも思います。

でも、人は1人で生まれてきたのではありません。
先祖からのバトンで今の自分があるということも心に留めてほしい。

それでもやっぱりやりたくないって人。
結局決めるのは自分です。
自分の代からきっぱりやめてみるのもありですよ。

法事はいらない、やめたいっていう考えは変?【まとめ】

法事をやるもやらないも個人の考えでいい。
でも、法事が必要だと思う人が不要と思う人を責めるのは間違い。
その逆もまた同じ。
お互いの考えは理解したいですね。

ただ故人の生前の意志がはっきりしていれば、それは尊重したいもの。
追善供養してほしい、みんなに集まってほしい。
そう思っていた故人の法事をやらない、出席しない…。
それは自分勝手と言われてしまいます。

例え自分が喪主の立場となってもそれは同じ。
日頃から父母や義父母と話をしておくことも大事なことですね。

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